リンクサイト
萩観光協会
萩の宿・ともえ


以下の内容は1992年9月に、「萩ライオンズクラブ・マルメライオンズクラブ」合同企画によって、スウェーデン マルメ市にて開催された「ニイルス・ベアティル・ペアソン陶芸展覧会」における、ベアティル・ペアソン氏自身による記事です。



今から24年前、コペンハーゲンで開催されていた浜田庄司氏の作品展で、私は初めて日本の焼きものに出会った。 
その時の四方皿の造りのおおらかさ、力強さ、一息で描かれたと思われる生き生きとした筆の線の自由さは、ヨーロッパの磁器の中で暮らしていた私にとって大きな驚きであった。


当時、私はロイヤルコペンハーゲン社で磁器の絵付けを担当していた。
フローラ・ダニカと呼ばれるその食器は世界的にも有名で、高価なものではあったがしかし、只、美しいだけのものであったような気がする。
作者の息使いさえ感じられそうな浜田庄司氏の作品は、その日以来、私の頭の中から離れなくなった。


翌年、私は会社の友人と3人で日本を訪れた。
約3ヶ月間、信楽、京都、萩、松江、九州と、窯巡りをし、そこで、全く絵筆の入らない“萩焼ぎに出会った。

単純な色、単純な形は、結局、日本の茶道で言う、わび、さび、の世界であろうが、その時の私に理解できよう訳もなく、ましてや、高い評価を受けている焼きものだとは、とうてい信じられないものだった。
そこには、浜田庄司氏の作品を見た時に受けた感動とは違う、ただ“不思議”の感だけが強く残った。


私にとって、解らないという事は、知りたくなるという事である。
翌年、私は会社を退職して、萩焼を学ぶため、再び萩を訪れた。

それ以来、今年で22年間粘土と共にあっという間であった。マラソンで言うなれば今は折り返し点であろうか。
その時、その時を一生懸命に走りながらも、元来不器用な私は試行錯誤の連続であった。

幸いにして私は周囲の人々に恵まれて今日まで自由に作陶らせて頂いているが、特に、絵付けの萩焼きに関しては、古い伝統の世界で、外国人だから仕方ない… という諦めがあって許されているのだろうと考えた事もある。


一つだけ解って頂きたいのは、特別に変わったものを作ろうという気持ちから絵付けをしている訳ではないという事である。

先程も書いたような初めて萩焼きを見た時の不可解感は今は無いし、井戸茶碗の美も、頭の理解のみではなく、感覚的にも解るようになってきたと自負している。
単純なものこそ難しいし、それこそ日本文化の粋だとも思う。


だが、伝統の萩焼きを懸命に学んだ何年か後、風に揺らぐ野草を見て、ふと絵筆をとってみたくなった時、私は何のためらいもなく、素焼きの地肌に筆を入れていた。やはり、これも私の世界の一部であるのだと思う。

そうは言うものの、ペアソンといえば絵付けというイメージが余りにも広がり過ぎてしまい、仕事の注文も絵付けのものに集中してきている。
造形的なものや、より内面を追求する作品を作りたい私も居るのである。
ここ2、3年、特に強くそう感じている。


ここらで本当に納得のゆくものを造りたいと日々考えている。そういう意味で、今回のスウェーデンでの個展は、売る事を意識せずに作陶できる願っても無い有難いチャンスであると、ライオンズの皆さまの御厚意に深く感謝している。



               1992年 9月  
               ニイルス・ベアティル・ペアソン  記


トップへ戻る




Copyright(c)2005-2006. 南明寺窯 All Rights Reserved.